目は口ほどに
起きた瞬間からじんわりと汗ばむような海の日の朝、ジュルジュルと聞きなれない小さな鳥の声が聞こえてきたので、カーテンを開けると、カワラヒワの姿が見えました。しきりに鳴いているのは一羽だけでしたが、すぐ隣にもう一羽止まっていて、遠くの電線にももう二羽が見えました。鳴き声と複数羽でいる様子から、きっと、今年生まれた若鳥たちなのだろうと想像しながらしばらく眺めていました。
そうだ!と思って、急いでカメラを取りに行きます。ほんの10秒ほどの時間です。でも、戻ってみるとカワラヒワたちの姿はありませんでした。しゅんとしながらカメラを戻し、でもカーテンを開けたままにしていました。数分後、またカワラヒワがやってきたのが見えました。今度こそ!とすぐさまカメラを取りに行って戻ると、姿がありません。また来るかもしれないと、今度はカメラを窓際に設置したまま待ちましたが、その後は姿を見ることはありませんでした。
いつもながら、こちらの心の内を全て見透かされているかのような動きに、う~んと唸らずにはいられません。壁一枚を挟んだ向こう側の人間の気持ちや行動を、彼らはどうやって読み取るのかと、人間の私は考えてしまいます。でも、視線を外した途端に逃げられるということを何度も繰り返していると、そもそもの前提が間違っているのかもしれないと最近思い始めました。
野生動物が、逃げるタイミングがあるとしたら、相手が目をそらした瞬間しかないのかもしれません。視線を合わせられたまま、自分の逃げる方向を認められてしまうことは、相手が敵だった場合には追跡されるリスクを負うことになりますし、例え直接的には無害な相手だったとしても、カラスなど捕食者の中には、人間の行動を見て餌(ヒナや卵など)の場所を特定できるものもいるそうですから、間接的なリスクが残ってしまいます。視線を向けられるという行為は、私たちが考える以上に周囲に情報を広めることになり、彼らに神経を使わせてしまう行為なのかもしれません。
さて、逆に彼らの目線から私たちも何か読み取れるものがないかとも考えるのですが、それは存外に難しいものです。愛玩動物の犬や猫は別として、多くの動物の目は、人間の白目にあたる色の異なる部分がほとんど見えず、つまり視線がどこを向いているかを判断することが難しいのです。まして、鳥などは魚眼レンズのような目の構造で視野がとても広いので、顔の向きと合わせても判断することは難しいでしょう。
私たちは、どうして自分たちの行動が動物から読まれてしまうのだろうと不思議がるのですが、もしかしたら、他の動物の側から見ると、人間ほど目でモノを言う、つまり目線から行動を読み取りやすい動物はいないのかもしれません。少しだけ複雑な気分になります。
