ゆらぎの中
自粛生活の休日は、草取りをする時間と並んで、本を読んで過ごす時間が増えました。以前好きだった小説のシリーズが、その後も続いていることを知り、ここ1ヶ月くらいは、本屋で見つけた巻から虫食い状態に貪り読んでいました。江戸時代を舞台にした話には、よく浅葱色だったり葡萄茶(えびちゃ)だったり、渋い色の着物が出てきます。物語の本筋以上に、現代では馴染みの薄い、この"色"の表現が気になって、つい調べ始めてしまいます。
そう言えば、何年か前に手伝った渡り鳥の調査では、ひと通りの計測と標識を終えた後に、鳥の虹彩を色見本と比較して記録してみる、なんてこともしました。同じように手伝いに来ていた学生さんたちと、頭をつきあわせて、「アンバーだ!」「マルーンだ!」と言い合いながら、こんな小さなこと一つとっても、やっぱり人によって見え方は違うものだし、みんなが「これだ!」と100%意見が合うことなどほとんどないのだと、しみじみ思ったものです。
何かにつけては、色見本を見るのが癖になっているのですが、見れば見るほど、これは、世の中のゆらぎを、ほんの一瞬だけ止めたものなのだ、という感覚が強くなっていきます。どれとも決めがたい色の方が、世の中には多いからです。それを心地よいと感じるか、不安定だと感じるかもまた、意見の分かれるところかもしれません。
澄んだ秋風に揺れるアスパラガスの実は、(少し時期が早いですが)クリスマスツリーのオーナメントのように鮮やかさを増してきました。私には和色の"金赤"に見えますが、皆さんの目には、どんな色に映っているでしょうか?
2021年09月21日
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